朝の光が、部屋の中を満たしてくる。
――ん、あと五分……。
海は、ころりと寝返りを打った。その腕が、何か暖かくて柔らかいものにふれる。
――え?
起きあがった海の目に、光の寝顔が映った。反対側の隣には、風もいる。
――あ、そうか。
ここは、家ではない。セフィーロなのだ。あのときとは違い、自分たちの意志で、もう一度来ることを望んだセフィーロ。
「海ちゃん……?」
半分寝ぼけたままで、光がつぶやいた。
「おはよう、光」
笑顔で海は言った。
とたんに、光の目が、ぱっちりと開いた。
「海ちゃんっっ! どうしたんだっ?」
がば、と飛び起きた光が、海の両肩をつかんだ。
「え?」
――光って、こんなに大きかったかしら?
「風ちゃん! 風ちゃん、大変! 海ちゃんが小さくなっちゃったっっ!!」
「――これはまた、一体どうしたものだろうな」
難しい表情でクレフが言った。
城の謁見の間に、一同は集っていた。その真ん中に、光と風に守られるようにして幼子の姿になった海がしょんぼりと座っている。
「まさか、敵が――っっ!」
光が言った。
「いや、それはない。姿換えの魔法は、とても大きな力が必要だ。そんな力が外からこの城に送り込まれれば私やランティスが気づかぬはずはない」
ランティスの名を出されて、光の胸に不思議な痛みが走った。光は頭を振って、それを打ち消す。それよりも、今は海のことだ。
「海、何か心当たりあらへんか?」
カルディナが言った。
「どう言うことですの?」
風が聞きとがめた。
「セフィーロは意志の世界や。ここでは実際の年齢はあんまり関係あらへん。うちらかて、自分の意志でこの姿を保ってるんや。な、アスコット」
「えええっ?」
いきなり話題を振られてアスコットがうろたえる。
「それでは、海さんが自分の意志でこうなったとおっしゃるんですの?」
「風、カルディナは可能性の話をしてるだけだ」
風の声が尖るのを聞いて、フェリオが宥める。
「そうよ。――例えば、こういう可能性もあるわ。海がここに来て、とても体力を消耗して――それで、身体が防御機構としてこの姿を選んだ、とか。小さい姿の方がエネルギーの消費は少ないわ」
プレセアも言う。
「そんな――疲れてるなら、光や風だって同じだわ!」
海が、うなだれていた顔を上げた。
「そんなことないよ! 海ちゃんは、優しすぎるんだ」
「そうですわ。私たちのことは気になさらず、今日はゆっくり休んでいて下さいな」
光と風が言った。
「でも――」
「海ちゃん!」
「海さん!」
二人が迫力満点で上から見おろした。それで、もう海は何も言えなくなってしまったのだった。
「二人とも、今頃どうしてるかしら」
海は、ため息をついた。
光と風が偵察に出かけて、海は一人でサロンのソファに座っていた。
セフィーロに来てから、一人で過ごすのは初めてのことだった。いつだって、隣には光と風がいたのに。
今の自分は、役に立たない。
――どうして、こんなことになっちゃったのかしら。
『セフィーロは意志の世界や』
さっきのカルディナの言葉がよみがえる。
――私の、意志?
「何だ、海。ここにいたのか」
不意に扉が開いて、クレフが入ってきた。
「クレフ――」
「具合はどうだ?」
クレフの顔がのぞき込んでくる。今まではずっと下にあったクレフの目線が、海よりも高い位置にある。
どきん、と心臓がはねた。
「顔が赤いな。熱でもあるのか?」
クレフの手が、そっと海の額にふれた。冷たい手のひらの感触が、火照った額に心地よい。
けれど、それは一瞬のこと。その次の瞬間には、海は反射的に身を引いていた。
「また、自分を責めていたのではないか? あの夜のように――」
見つめてくるクレフの瞳には、深い色が宿っていた。
――ああ、この瞳だわ。
このセフィーロの未来を導く導師。その厳しい瞳の奥にある優しさや深い想いに気づいたのは、一体いつだったろう。
「お前は、普段は気が強いように見えるが、本当は神経の細やかな娘だ。あまり、無理はしないことだ」
「クレフ――?」
「どうも、お前は放っておけぬな」
そう言って、クレフは微笑んだ。
外は、雨が降り出していた。
雨は、音もなく降りしきる。
窓の外は雨の帳でぼんやりとけぶっている。
あれから二人は言葉を交わすことなく、ただ黙ってそこにいた。
静かな、午後。静かな、雨。
海にとても近しい水の気配が空気を満たして行く。
水の面に、静かな波紋が広がるように、心の中に何かが沁み通って行く。
二人だけの、穏やかな時間。
――ああ、この感じ。
ようやく、海は気づいていた。
――そうなんだわ。私、クレフのこと――。
その次の刹那。
海は、光と風が戦う気配を感じて立ち上がった。
「海……?」
クレフがいぶかしげに声をかける。
「光と、風が! 私、行かなくちゃ!」
「しかし、お前は――」
クレフの言葉が終わらぬうちに、海は叫んでいた。
「セレス!!」
淡い、水色の光がほとばしる。光の中で、海は魔神セレスを操る魔法騎士の姿を取り戻していた。
「本当にびっくりしましたわ」
楽しそうに、風がくすくすと笑う。
部屋の中は、夜の闇が支配していた。光は昼間の疲れか、すでに安らかな寝息をたてている。
「海さんたらいつのまにか元の姿に戻ってるんですもの」
「心配をかけて、ごめんなさい」
「そんなことはよろしいの。――それより、もう自覚なさったかしら?」
言われて、海の頬に朱が上った。
「風、あなた知って……っ!!」
「クレフのこと、好きなんですのね」
わざわざ確認してくれるあたり風らしい。
あのとき、海も気づいたのだ。自分でも気づかなかったクレフへの想いが、海の姿をクレフにふさわしい年齢へ変えていたことに。
「それで、これからどうなさるおつもり?」
にこにこ笑いながら聞いてくる。
「そうね。――私、私に出来ることをしたいわ。もっと強くなりたいし、綺麗になりたい。それから、優しくなりたい」
今のままの自分では駄目だ。もっと、もっと水のしなやかさで、海は変わって行けるはず。
姿だけ、クレフに近づいたって、何の意味もない。
「それに、やっぱりお子さまの姿じゃ恋には不向きよね。――クレフが、私のために大きくなってくれるほど、素敵な私にならなきゃ」
「それでこそ海さんですわね」
「……二人とも、まだ起きてたのか?」
光が寝ぼけ眼をこすって起きてきた。
「もう、寝るわ。光も、眠って」
「うん。――良かった。海ちゃんも、風ちゃんも、ここにいる……ね……」
いいながら、もう光は再び眠りについていた。
「私たちももう寝ましょう。睡眠をきちんととらないとお肌が荒れますわ」
「そうね、目の下にクマを作ってフェリオには逢えないものね?」
海が逆襲する。
「もう、海さんたら……」
他愛のないやりとりがしばらく続いて――そうして、やがて穏やかな眠りが部屋の中を満たしていった。
明日はもっと綺麗になる もっと強く優しくなる
音を立てて割れてゆく 氷が自由な水に変わる
綺麗になった私を連れて 逢いに行きたい人がいる
はるかな水の流れを辿り いつかあなたに笑いかける
今私は小さな魚だけれど あなたへと泳いで行く――
<後書き>
song by谷山浩子「小さな魚」 あまりにもイメージぴったりだったのでv レイアースは、OAVで大人版クレフが出てきて、すごく期待してたのですが、何しろ話の内容が(以下自主規制)だったもので……。多分、クレフ×海本はこの世でこの本だけでしょう。「藤華連合」は別名「荊道同盟」と自嘲しちゃうくらいに、みんなして、他の誰もハマらないマイナーカプにばかりハマっておりました。
だからある意味、チュチュでふぁき×あひにハマったことは私にとっては青天の霹靂なんですよ。
でも、今になってネットで見てみると、本こそは出ていないものの、クレフ×海を期待していた人は意外と多かったようで、嬉しくなってしまいました。「ツバサ」でクレフ×海をやってくれないかなーというのが今の星野の切なる希望だったり。